マインド

風の谷のナウシカを観てコロナウイルスの世界を見直す

自粛生活の中、映画の1本でも観ようと思うけど、誰にも邪魔されずに映画丸1本観れる自信は全くなかったので、観ようという気にもならなかった。

10歳の長女がNetflixで「寄生獣(きせいじゅう)」(スペイン語タイトルはParasito:パラサイト←なんかもっとひねって欲しいよね)が5月15日に解禁になるのをずっと楽しみにしていて、夜の12時になるのをカウントダウンしていた。

(寄生獣では、人間を捕食するシーンや、殺すシーンが多く、結構グロいシーンが多い)

ちなみに私は寄生獣のことを長女に話したことなく、Netflixで予告が出てたみたいなんだけど、なんであんなに食いつくのかは不明。

私も子供時代友達に借りた寄生獣のマンガにかなりハマったので血は争えないというか。。(子供の頃、マンガ禁止の家庭だったので自分でマンガを買うという習慣がなくいつも誰かに借りていたんだよね)

 

結局、あんなに楽しみにしてた寄生獣は夜の12時には解禁されず、がっかりしてた長女。

代わりに他の映画見て、そのあと私が「風の谷のナウシカ」を観たくなって長女と一緒に朝の3時過ぎまで見ていました。

 

ジブリではナウシカが多分1番好き。

子供の頃、「風の谷」にやたら強烈惹かれていて、自分が風が好きということに当時自覚は無かったんだけど、「いつも風が吹く谷とは!?」って憧れていて、風の谷に住みたい!!と強く願ったものだ。

ナウシカも大好きだし登場人物もセリフも大好きだけど、憧れてたのはなぜか「風の谷」なんだよね。

風にずっと吹かれて暮らしたいって思ってし、今も思ってる!


©Studio Ghibli/Walt Disney Pictures

いま、このコロナの中、風の谷のナウシカを観てると、「蟲と腐海の森と人間」を見て、その関係性を改めて見直さずにはいられなかった。

「共存」という点に注目すると、人間もコロナでなくてもあらゆるウイルスと共存しているわけで、「腐海の森を焼き払う」ことは解決に繋がらないように、過去も現在も、そして未来もきっと人間はウイルスと共存していかなければいけないでしょう。

クシャナ殿下のセリフで
腐海を焼き、蟲を殺し、人間の世界を取り戻すに何をためらう!

というセリフがあるんだけど、

それを今に置き換えてみたら、ウイルスを「悪」「恐怖」と取って戦うのでなく、「予防」「正しい対処」をしながら共存・共生が人類の課題じゃないかな。って思うのです。

どうせコロナウイルスが無くなっても、また形を変えて「新型」と出てくるんだろうし。

それに「悪」と「善」なんて一概に判断できないし、ナウシカでも腐海の森が実は侵された空気を浄化していくために生まれたもののように、そもそも人間の善悪の価値観は自然の価値観(自然に価値観は存在しないかもしれない)と違うかもしれない。

 

もうひとつ違う視点を見ると、コロナの件でも恐怖が人間の行動の引き金になってる場面もたくさんある。人間の恐怖を誰か(同じ人間が)が操ってることに気づいたほうがいい。

 

コロナの中、ナウシカを観てそんなことを改めて思ったのでした。